トルコの南東部は少数民族クルド人の居住区であるクルディスタンと呼ばれる地域。トルコのみならずシリア、イラク、イランにもまたがっていますが、トルコのクルディスタンにおける最大都市が、本記事でご紹介するディヤルバクル(Diyarbakır)です。
人口は約100万人。メソポタミア文明の礎となったチグリス川が流れる肥沃な平野にあり、有史以前より人が住み始めた歴史ある街です。
住人の大部分はクルド人ですが、ザザ人など他の少数民族やそれらの混血の方などにもよく会います。
トルコ最大の少数民族で、トルコ国内に3000万人いるとされる。多くはイスラム教徒で言語はクルド語。クルド語はクルマンジー(北部クルド語方言)やソーラーン語などいくつかの種類に分かれるが、トルコのクルディスタンで話されているのはクルマンジー。
ディヤルバクル県の北に隣接するビンギョルやトゥンジェリに多く住んでいる民族。およそ200万人で言語はザザキ語。多くがイスラム教のアレヴィー派で、モスクを持たないなどの独特の教義を持つ。紛らわしいが、シリアのアサド大統領のアラウィー派とは別物。
そんなディヤルバクルですが、私は2022年5月に3週間ほど滞在しました。おかげで見どころはほぼすべて回ることができた自信があります(笑)
そこで今回はディヤルバクルの観光スポットについてまとめてみました。この記事を読むことで、
- ディヤルバクルのおおまかなの土地勘(移動手段など)
- 外せない観光スポット
- 観光スポットをより楽しむための基礎知識(歴史や宗教など)
などつかんでいただけるはずです。
【はじめに】ディヤルバクルの概要マップ
ディヤルバクルの見どころはほぼすべて市南東部の旧市街(スール地区)にあります。旧市街は城壁に囲まれているので外から見てもすぐにわかります。
バスターミナルは北西部の郊外にあり、旧市街までは約20キロの距離と少し不便な立地。旧市街へのアクセス方法は以下の通りです。
- タクシー:60リラ。15分程度
- ドルムシュ(ミニバス):「Dağkapi(ダーカピ / 山の門)」と書いてあるバスにて、5リラ。旧市街の北門周辺まで行ける。
- バス:「Z2」ナンバーのバスにて、北門近くのバス停まで。※実際に乗ったことはないので参考程度
旧市街(スール地区 / Sur)の観光マップ
旧市街の拡大マップです。北門から南門まで南北に1キロほど通っているのが目抜き通りのガジ(Gazi)通り。バスは北門付近に泊まるので、北門からガジ通りを通って南門へ歩いていくのが基本コースとなります。
本記事で説明する観光スポットについては番号を振ってあります。次項から順番に説明していきたいと思います。
最後に説明するディジュレ橋以外はすべて旧市街にあるので、1日あれば徒歩で一通り見て回れますよ。
ディヤルバクル城塞(Diyarbakir Kalesi)
ディヤルバクル旧市街をぐるっと取り囲む城壁。ユネスコ世界遺産にも登録されており、ディヤルバクル観光のハイライトです。
最初の建造時期は定かではないものの、古代ローマ時代の4世紀には今の形がほぼでき上がったといわれています。またディヤルバクルは玄武岩の土地のため、城壁も主に玄武岩でできています。
内城と外城に分かれており、2つ合わせた全長は約6キロメートル、高さは10〜12メートル、幅は3〜5メートルです。
①外城(Dış Kale / ドゥシュカレ)
ディヤルバクル旧市街の外側を囲むのが外城。全長は約5.5キロメートルあります。
保存状態が悪い部分が多く、2022年5月現在はいたるところが工事中でした。
ディヤルバクルの城壁は「万里の長城に次ぐ世界で二番目の長さを誇る」とよく書かれており、現地の方にもそのようにアピられます(笑)
ただ私が思いつくだけでも中国の西安の城壁は14キロメートルあるので、カウントの仕方は正直よくわからないです…
②展望スポットとヘブセル庭園
城壁には随所に階段があり上に登って歩くこともできます。特に見晴らしの良いのが、南門である「マルディン門(Mardin Kapisi)」を上がったところ。
世界遺産の構成要素の1つである「ヘブセル庭園(Hevsel)」を眼下に楽しむことができます。
ヘブセル庭園はディヤルバクルの食料を支えてきた農園。紀元前9世紀の歴史書ですでに言及があるそうです。
面積は700ヘクタールに及び、ポプラの木をはじめ様々な農作物が育てられています。
③内城(İç Kale / イチカレ)
旧市街の北東部に位置する内城。外城より歴史は古く、かつてはアミダ城と呼ばれていました。
全長は600メートルとこじんまりしていますが、外城と比べ保存状態は良好。
内部は公園になっていますが、次に説明するように考古学博物館、聖ゲオルギオス教会、アタテュルク博物館などの見どころが集まっています。
考古学博物館
かつての神学校です。入場料は15リラ。
ディヤルバクルを含むアナトリア南部で発掘された文物が展示されており、最も古いものはなんとBC10,400〜9,250年の発掘物。さすがは文明発祥地域・・・と唸ってしまいますね。
ミステリアスな図柄が目を引くとともに、有史以前にここまで精巧なものが作られていたことに驚きを隠せません。
聖ゲオルギオス教会 / セントジョージ教会(St. George Kilisesi)
聖ゲオルギオス教会。正確な建築年は不明であるものの、元々は多神教の神殿として2~3世紀に建てられたものだったようです。
アタテュルク博物館(Ataturk Museum)
トルコ建国の父ケマル・アタテュルクが1916年に滞在した建物。今は博物館となっています(入場無料)
④ウル・ジャーミィ(Ulu Camii)
アナトリア最古のモスクとも言われる、ウル・ジャーミィ(Ulu camii)。直訳すると「大モスク」。
元々はキリスト教の教会だったものを転用したモスクで、現在の姿は11世紀のセルジューク朝時代に再建したものです。
一見してモスクとは思えない佇まいをしていますが、この独特の建築様式はシリアのダマスカスにあるウマイヤ・モスクがモデルと言われています。
- 明確な正面(ファサード)を持たない
- 外部から建物全体が見えない(外観で威容を誇らない)
- 長方形の礼拝室(ハラム)と2列のアーケード
- 長方形の中庭(サフン)
- 八角円型の清めの泉(ウドゥー)
- 角型の尖塔(ミナレット)
ウマイヤモスクは最初のイスラム王朝であるウマイヤ朝(661~750年)時代にできたモスク。その栄光にあやかるべく、建築様式を模したといわれています。
ウル・ジャーミィはガジ通りを歩くと必ず目につく広場に面しています。であるにもかかわらず、先述の通り外部からは建物全体が見えないよう設計されているため、素通りしてしまうかもしれません。
外観が質素な一方で、礼拝室と中庭からなる内部空間は華麗で精緻な装飾が施されているウル・ジャーミィ。
スイス人ジャーナリスト、アンリ・スチールランの言葉を借りれば「求心的な空間」を再現しようとしたのが初期のモスクだったのでしょう。
⑤ハッサン・パシャ・ハニ(Hasan Paşa Hani)
ウル・ジャーミのガジ通りを挟んだ向かい側に位置するのが「ハッサン・パシャ・ハニ」。
元は1575年にできたキャラバンサライ(隊商宿)です。コートヤードを囲む2階建ての建物で、城壁と同じく玄武岩でできています。
現在は商店のほかカフェやレストランが入居しているので、観光の合間に一息つくのも良いでしょう。
⑥聖母マリア教会(Syriac Orthodox Church of the Virgin Mary)
ディヤルバクル旧市街の中でもひときわ異彩を放っているのが、聖母マリア教会。
元々は1世紀に建てられた宗教施設があった場所です。現在の建物は3世紀にアッシリア人(Assyrians)が建てたもので、現在はシリア正教会の管轄下にあります。
6世紀に成立。451年のカルケドン公会議において単性論(※1)が異端とみなされたのち、単性論の一種と考えられた合性論を支持する一派が作った教派。当時の東ローマ帝国の国教「カルケドン派キリスト教」から分離したため、「非カルケドン派正教会(Non-Chalcedonian Orthodox Churches)」に分類される。
正教会とはいうものの、ギリシャ正教やロシア正教などのいわゆる東方正教会(※2)ではないことに注意
※1 単性論とは「受肉のキリストの人格は、人性が神性に取り入れられて単一の性を持つ」とする考え方
※2 東方正教会ができる契機となった東西分裂(大シスマ)は11世紀
興味深いのは、聖書や壁面に書かれている文字がかつて国際語であったアラム語(Aramic)であるという点。
アラム語はアラビア語やヘブライ語と同じくセム語族に属する言語で、右から左へ書きます。現在もシリアを中心に話者がいますが、その数は激減しており近い将来消滅してしまう可能性の高いとのこと。
ちなみに、イエス・キリストが話していたのもアラム語だというのが最近の通説のようです。
【努力案件】旧市街のその他の史跡
主な見どころはここまで説明してきた通りです。一日ですべて見て回れる(しかも徒歩で)範囲にあります。
が、時間がある方は以下に説明するスポットにも足を伸ばしてみましょう。観光スポットとして特に知られている史跡ではありませんのであくまで“努力案件”扱いで大丈夫です(笑)
⑦聖サルギス教会(Sarp Sargis Church)
16世紀に建てられたといわれる聖サルギス教会。アルメニア正教会です。
残念ながら長年の風雨や地震によりほとんど崩壊してしまっています。管理人がいるわけでもなく、長年野ざらしにされているようで盗掘の被害も放置されているとか・・・
アルメニアとの間では20世紀初頭の「アルメニア人虐殺」を巡って政治的な対立が残っているトルコ。アルメニア人の民族的な記憶を消し去るため、当局が“意図的に放置”している、と非難の声も上がっているようです。
⑧聖ギラゴス教会(Sarp Giragos Church)【2022/5 閉鎖中】
こちらもアルメニア正教会の聖ギラゴス教会。16世紀の建造。
2015年にクルド人武装勢力PKKによるテロ攻撃を受け、破壊されました。2022年5月現在も修復のため閉鎖中でしたが、7年後(2029年)に再開予定とのこと。
⑨ベーラム・パシャ・ジャーミィ(Behram Paşa Camii)
1572年に完成したベーラム・パシャ・モスク。当時この地を治めていたベーラム・パシャの命で建てられたモスク。
オスマン帝国最高の建築家とも言われるミマール・シナンによる設計だとの説があります。そのことを知らずに私は最初訪れたのですが、確かにいたるところに「美」と「調和」を感じました。帰ってから先の説を知り、思わず膝を打ったものです。
⑩サファ・ジャーミィ(Parli Safa Camii)
白羊朝の時代(1378~1508年)に建てられたサファ・ジャーミィ。
ミナレットに果実が用いられたため、かつては芳香を放っていたといわれていますが本当でしょうか?(笑)
それはともかく非常に細やかな彫刻は一見の価値アリです。
⑪ファティ・パシャ・ジャーミィ(Fatih Paşa Camii / Kurşunlu Cami)
ファティヒ・パシャ・ジャーミィ。内城の南門の前の道をまっすぐ進んだところに建っています。
ディヤルバクルがセリム1世のオスマン帝国に支配されたのが1514年のこと。その初代総督ビユクル・メフメト・パシャが1516~1520年に建てたのがこのモスクでした。
ドームと屋根が完全に鉛の層で覆われています。
【城壁外】ディジュレ橋(Dicle Köprü)
旧市街の南約3キロに位置するディジュレ橋(Dicle Köprü)。
メソポタミア文明の礎となったをチグリス川にかかる橋(1065年建造)です。(Dicleとはトルコ語でチグリスの意)
10個のアーチがあることからオンギョズリュ橋 (Ongözlü Köprü / 十の目の橋)とも呼ばれます。
もちろん材質はディヤルバクルの名産である玄武岩。最も綺麗に見える時間帯は夕暮れ時だそうです。
ここまで読んでいただき、誠にスパース!(クルド語で「ありがとう」)
「こんにちは」はムスリムの挨拶「アッサラーム・アライクム」でOK!
他にも小さな博物館などはあるのですが、書き切れないのでいったんこの辺にしておきます(笑) 随時更新していくかもしれません。
それよりも、もっとご紹介したいのがディヤルバクルのご当地料理。海外の料理で美味しいと思うことが少ない私が、感動のあまりぜひおすすめしたいと思った料理がこのディヤルバクルにあります。詳細は下記記事にて!
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